(提供:写真AC)

アメリカによる日本への経済制裁にイギリス・中国・オランダが同調してABCD包囲網が作られて日本へ圧力をかけます。

なぜ日本は複数の国からこのような圧力を受けるようになったのでしょう?

 

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資源確保のために南進するも、アメリカから経済制裁を受ける。

(提供:写真AC)

昭和12年(1937年)から始まった日中戦争は長期化していました。

首都の南京が日本に占領されても蒋介石の国民党政府は重慶に政府を移して抵抗を続けます党政府が日本との戦争を続けられるのは本来の敵である毛沢東の共産党と共闘できたのもありますが、アメリカやイギリスなど欧米各国が支援していたからです。

日本軍は国民党政府を弱らせる為に蒋介石を支援するルート「援蒋ルート」を物理的に塞ごうとします。その為に日本軍は昭和15年(1940年)9月にフランス領インドシナ(現在のベトナム)の北部に部隊を進駐させます。(北部仏印進駐)

北部仏印進駐によってインドシナからの援蒋ルートを断つことはできました。しかし、アメリカはこの日本軍の行動に対して経済制裁を行います。

日米開戦の可能性を感じて南方での拠点確保に昭和16年(1941年)7月にフランス領インドシナの南部へ進駐し占領します。この進駐が更にアメリカの石油輸出禁止と言う危機を招きます。

物資が輸入できなくなる。国内への影響は?

(くず鉄 提供:写真AC)

中国との戦争を続け、フランス領にまで手を出す日本に欧米の警戒感は強まります。アメリカは日本に対して昭和15年(1940年)から経済制裁を始めます。

10月16日にくず鉄や鋼鉄の輸出禁止を行い、翌年の昭和16年(1941年)1月には亜鉛やニッケルを2月にはラジウムなどの鉱石も輸出禁止になります。そして8月1日には石油の輸出が禁止になります

くず鉄の輸出禁止は日本の鉄鋼生産に大きな影響を与えます。くず鉄を使用した製鋼方法が日本の民間の製鋼業では主流だからです。しかもそのくず鉄をアメリカらの輸入に依存していたのです。

アメリカのくず鉄輸出禁止は日本の製鋼業を追い込む事になります。

鉄鉱石から鉄を作る製鉄ができる半官半民の会社「日本製鉄」がありましたが不足を埋める生産能力はありません。大砲や軍艦など兵器の製造に欠かせない鉄の生産が出来なくなる懸念は、日本の軍部を開戦へと駆り立てることになります。

 

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石油禁輸が日本を戦争に駆り立てた?当時の石油の重要性を解説。

(提供:写真AC)

アメリカの経済制裁で日本が一番衝撃を受けたのが昭和16年の石油輸出禁止です。戦前の日本では、石油の輸入元はアメリカがほとんどでした。

昭和15年では全体の77%がアメリカからの輸入で、前年の昭和14年には90%にも達していました。

どれだけアメリカに依存していたか数字で見てみましょう

  • 昭和10年(1935年)は輸入量345万kℓで、その内アメリカからの輸入量は231万kℓ
  • 昭和12年(1937年)は輸入量477万kℓで、その内アメリカからの輸入量は353万kℓ
  • 昭和14年(1939年)は輸入量494万kℓで、その内アメリカからの輸入量は445万kℓ

アメリカからの輸入を比率で言えば昭和10年は67%・昭和12年は74%・昭和14年は90%と日本がいかにアメリカからの輸入に頼り、日中戦争の長期化で輸入量が増えていたのが分かります。

おまけに、アメリカの石油輸出禁止が始まった昭和16年8月時点で、当時の備蓄量だけでは翌年の昭和17年には日本が持つ石油を使い切ると試算が出たのです。当然、石油がなければ、経済もストップ、戦艦も動かせません。

追い詰められた日本は、アメリカ以外の輸入先や採掘できる地域を探ります。

 

しかし、蘭印との石油貿易交渉などの活路は、日本がオランダやイギリスの敵対国ドイツと同盟していることで失敗に終わります。

石油が採れず、国内の事情で鉄の生産が禁輸に弱い。大きな弱点を持つ日本を経済制裁すれば中国から引き下がるとアメリカ政府は考えていました。

それは、日本の軍事行動の拡大を警戒するイギリスやオランダに軍事行動の停止を願う中国と思惑が一致していたのです。しかし、反発する日本はアメリカやイギリス・オランダと開戦する太平洋戦争へと向かってしまうのです。

 

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