(提供:写真AC)

維新最大の功労者と言えば西郷隆盛で間違いないでしょう。日本人なら誰でも顔と名前が一致する数少ない偉人です。ところが本当の顔は違ったのではないかと、はっきりしないことも多く、今なお謎が多い人でもあるのです。

 

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本当の顔は「あの顔」ではない説の真偽

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西郷隆盛と聞けば、上野の西郷像を思い出す人がほとんどでしょう。もちろん鹿児島にも像はあるのですが、顔はだいたい同じ。下膨れ、坊主頭、太い眉と大きな目玉。みんなが知る有名なあの顔は、事実ではないという説があります。

あの顔の元になったのは明治時代日本にいたイタリアの画家・キヨッソーネの描いた肖像画なのですが、彼は西郷と面識がありません。

そこで、西郷の弟・従道といとこの大山巌の顔を参考に、こんな感じかな~と描いたものなのです。維新の立役者のくせにアナログ人間だった西郷が、写真のひとつも撮っていなかったための苦肉の策だったわけです。

 

ただ、遺族の話ではだいたいあの感じで正しいようです。「間違い」と言われるようになったのは、西郷の奥さんが上野の像を見て、「ウチの人はこげんじゃなか」と言ったことに由来します。

実際は、「浴衣で散歩する人じゃない」という意味だったそうですが、「違う」が独り歩きしてしまい、「本物の顔じゃない」説が流布したのが真相のようです。

 

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犬の名前は?なぜ一緒に銅像になっているの?

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上野の西郷像は犬を連れています。愛犬家はシンパシーを感じるのでは。トリビア的によく出てきますが、あの犬はメスの薩摩犬で、名前は「ツン」といいます。西郷が実際に飼っていました。ただ、像の犬はオスなので、少々でたらめがあります。

西郷が犬好きだったのは事実。西郷はあの巨体ですから、身体に支障が多くありました。医者にダイエットを勧められ、西郷は運動を始めます。散歩や狩りを好み、猟犬として犬をたくさん飼っていたといいます。

 

征韓論が受け入れられず、鹿児島に戻ってからも、西郷は狩りや山歩きをよくしていて、いつも犬を連れ歩いたそうです。その行動にはダイエット目的もあったのでしょうが、いつか薩摩が政府と戦うことになると予想して、地勢調査の意味もありました。

全国から神格化されていた西郷は、新政府を倒してくれると士族の期待を集められており、常にプレッシャーがあったと思われます。犬を相手にしているときだけは、解放された気分だったでしょう。犬は西郷の癒しでもあったのです。

西南戦争での最期。辞世の句が潔すぎる。

ふたつなき、道にこの身を、捨て小舟、波立たばとて、風吹かばとて

1877年(明治10年)、ついに西南戦争が勃発します。勇猛な薩摩軍ですが、難攻不落の熊本城をどうしても落とせず、時間を費やしているうちにどんどん不利になってゆきます。

薩摩まで後退し、政府軍の大軍に囲まれ、西郷も死を確信します。「ふたつなき、道にこの身を、捨て小舟、波立たばとて、風吹かばとて」。

—-「波があろうと風があろうと、たったひとつの命を小舟に乗せて進むだけだ」と辞世の句を残し、屍となりました。

無口は薩摩の美徳とされ、西郷は特に喋らなかったといいます。言い訳がましくない、ラストサムライ西郷らしい今際の言葉です。この敗戦で武士の時代が終わってゆくことになります。

 

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