(提供:写真AC)

安政の大獄と並び、封建社会における言論弾圧事件として有名な蛮社の獄。反幕府の声を上げた知識人が何人も逮捕され、時代を退行させました。

悪名高い妖怪・鳥居耀蔵(とりい ようぞう)が暗躍し、その名を後世に残した悪行だったのです。

 

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言論弾圧で処罰された高野長英と渡辺崋山。

(提供:写真AC)

18世紀後半から、日本近海に外国船がチラホラと現れるようになりました。幕府は、他国を侵略者と決めつけ、徹底的にこれを排除しました。日本の漂流民を連れて来てくれたモリソン号を砲撃して追い返したのも、こうした背景からだったのです。

しかし、船は追い返せても、外国と交流して日本も視野を広げようという思想を持つ者が国内で増えるのは防げなかったのです。モリソン号の事情がはっきり知らされると、渡辺崋山や高野長英ら洋学者の間から「鎖国を解くべきだ」と言う意見が出るようになりました。

 

当然、幕府は認めません。新しい考えを潰すのが封建時代の常なので、老中・水野忠邦と、その腹心で町奉行と鳥居耀蔵が弾圧に乗り出します。

余談ですが、有名なお奉行遠山の金さんもこの頃の人です。人気者の金さんと違い、耀蔵は江戸市民の嫌われ者。ライバルの名奉行・阿部正弘が亡くなったときに「チョー気持ちいい!」と言い放ったほどの男ですから。

 

その耀蔵が崋山や長英を見張って、罪に陥れたのです。当時、洋学者は南蛮の学問を学ぶという意味で「蛮社」と呼ばれ、蔑まれていました。崋山は幕政批判の罪で蟄居(ちっきょ)。その後、貧困と世間の非難などを理由に切腹しました。

長英は投獄されるも脱走し、硫酸で顔を焼いて別人として5年もの潜伏を続けましたが、捕縛され殴り殺された(自害したという説もあり)そうです。

蛮社の獄で罪になったのは10人ほどですが、その数年後に起こる安政の大獄に繋がるものといえそうです。

 

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ほぼ冤罪で自害。高野長英の学者としての功績。

渡辺崋山は元々絵師ですが、高野長英は筋金入りの洋学者です。父の高野元斎は「解体新書」を記した杉田玄白の弟子で、長英も江戸で蘭学を学んでいます。さらに勉強したいと長崎へ行き、シーボルトの鳴滝塾へ入学しました。

塾でも飛び抜けて優秀だった長英は、シーボルトの執筆を多く助けました。蘭書の翻訳も多く、ピタゴラス、ガリレオ、ジョン・ロックらの西洋哲学史をまとめています。

天保の大飢饉を受けて、崋山らのいる尚歯会に入り、救民策を考えました。長英が著した「救荒二物考」には、飢饉時の蓄えとしてソバやジャガイモの栽培・調理法、ビールの醸造まで書いています。

 

例のモリソン号事件が起こると、幕府の対外政策の危険性と無謀さを批判した「戊戌夢物語」を書きあげます。これが蛮社の獄での不幸となるのですが、その後に明治維新を担うことになる多くの志士に影響を与えています。

明治期、長英には正四位が贈られていることからも、いかに維新の志士から敬意を表されていたかわかるでしょう。明治維新は黒船来航以降に起こったものととらわれがちですが、崋山や長英のような先進的な考えの人はそれ以前からおり、維新の先駆者として歴史に貢献したといえるのです。

 

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