(提供:写真AC)

大政奉還後、将軍を辞した慶喜を追って、明治新政府の追撃隊が江戸に押し寄せてきました。徳川の完全打倒をもくろむ西郷隆盛に率いられた大軍。江戸を守るために勝海舟が立ち上がり、油断のできない交渉が始まるのです。

 

スポンサーリンク

 

江戸に迫る新政府軍。150万人の住民が危うい。

(15代将軍 徳川慶喜 提供:GAHAG 著作権フリー写真)

朝廷に政権を戻した大政奉還。しかし、朝廷に政治能力はすでになく、徳川に頼るつもりもありました。

「それでは江戸時代と変わらん」と異を唱えたのが西郷隆盛や大久保利通らです。新政府軍には佐幕派の山内容堂、松平春嶽らがいたのですが、薩摩の威勢には逆らいきれず、渋々従うことに。

 

慶喜は新政府軍との衝突を避けようと苦心します。ところが、薩摩に対して江戸にいた徳川の忠臣たちの怒りが爆発し、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちしてしまうのです。

西郷らとしては「これで戦の理由ができた」と内心ほくそ笑んだかもしれません。こうなっては慶喜も戦うしかなく、鳥羽・伏見の戦いとなってしまうのです。

幕府は、まだまだ新政府と戦える武力を持っていました。苦戦の新政府軍はここで錦の御旗を立て、官軍であることを強調。幕府軍は崩れ、慶喜も江戸まで逃げることになります。追う新政府軍は三方から150万都市江戸に迫ってきました。江戸壊滅の危機です!

 

スポンサーリンク

 

勝海舟と西郷隆盛のトップ会談。奇跡のような平和的解決が実現。

(東京港区 江戸開城 会見の地 提供:写真AC

勝海舟は「江戸が機能しないと国が滅ぶ」と考えていました。官軍の旗を立て、野獣のように気の高ぶった新政府軍を入れたら、とんでもないことになると思ったのです。

そこで山岡鉄舟に頼み、静岡まで来ていた西郷に手紙を届けます。鉄舟も肝っ玉のでかい男。西郷と堂々に渡り合い、話し合いの約束を取り付けました。そして、江戸の命運をかけた勝海舟・西郷隆盛会談が始まります。

よく一対一の刺しの会談として描かれますが、実際は鉄舟や、薩摩の桐野利秋、村田新八らが同席していたと考えられています。西郷は海舟の出した条件をほぼ受け入れたといいますから、新政府軍としてはかなりの譲歩です。

 

これには西郷と海舟が旧知で信頼があったこと、薩摩から徳川に嫁いだ天璋院(篤姫)や公家の和宮の嘆願があったこと、日本の混乱を喜ばないイギリス公使パークスから圧力があったらしいことなどの背景もありました。

また、西郷の威光があればこそ、鼻息の荒い新政府軍を抑えられたということでもあるでしょう。

どこか一つ欠けていても、平和的解決はなかったかもしれません。江戸無血開城が歴史的奇跡というのには、すべての要素が揃っていたからです。

欧米列強の脅威から日本を守ったという見方も。

こうして日本の中枢都市・江戸は守られたわけですが、これにより欧米列強の植民地支配から日本が守られたと見ることもできます。世界史では、国内での内乱が大国の介入を呼び込み、植民地化されることは珍しくないのです。

新政府と旧幕府の戦いは江戸の無血開城の後も続き、東北から北海道・箱館(今の函館)を舞台に進んでゆくのですが、江戸が無事で明治の政府がすぐに機能したことで、列強が入り込む隙がなくなったと考えられます。

西郷と海舟の会談が失敗していたら、現在の日本は違う形になっていたでしょうね。

 

スポンサーリンク