池田屋跡地

京都守護職お預かりとなり、新撰組が京都の治安維持を担うようになって1年半――新撰組は「池田屋事件」でその名を一躍とどろかせます。

1864年7月8日、新撰組は京都三条木屋町にある旅籠・池田屋に集まっていた尊皇攘夷派の志士たちを襲撃しました。

池田屋では御所焼き討ちの計画が練られていました。新撰組の活躍により、御所の焼き討ちは未然に防がれ、京都の町も守られたのです。

京都三条小橋、池田屋事件跡をたずねます。

 

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近藤勇たちと同じルートで池田屋を目指す。


(提供:写真AC)

八坂神社を四条通へ下ると、交差点の先にコンビニがあります。このコンビニ近辺が「祇園会所」があった場所ではないかと考えられています。

祇園会所は池田屋事件当日、尊皇攘夷派の志士たちが集まるという情報を得た新撰組と、新撰組から出兵要請を受けた会津藩兵との集合場所でした。

当時、祇園祭の宵山は現在より早くに行われていました。池田屋事件当日の祇園も、とても賑わっていたに違いありません。

 

しかし、午後8時近くなっても、会津藩兵は祇園会所へ現れませんでした。

そこで、近藤勇が10名の隊士を引き連れ木屋町通を、土方歳三が23名の隊士を引き連れ鴨川の東を、それぞれ北へ向かって探索に出ました。

実際に、池田屋へ踏み込んだ近藤勇たちと同じルートで、池田屋へ向かってみます。午後7時、四条通から木屋町通を三条方面へ歩きます。

高瀬川の東側に沿って南北に貫通する木屋町通は、江戸時代初期には大阪や伏見から船で薪や炭、木材が運び込まれました。そのため、材木商・材木問屋が店を構えるようになり、木屋町通と言われるようになったそうです。

池田屋事件が起こった幕末当時には、木屋町通を行き来する商人や旅人を目当てに、料理屋や旅籠、酒場が軒を連ねるようになっていました。

 

(高瀬川の夜桜 提供:写真AC)

高瀬川にかかる柳が、川沿いの店の明かりに照らされ、何とも情緒のある景観を生み出しています。

現在では老舗の京料理を扱う、いくらか敷居の高そうな店をはじめ、スペイン料理、沖縄料理を扱う店など、実に様々な飲食店が並んでいます。居酒屋やバーなど、お酒を楽しめるお店も数多くあります。

仕事終わりに飲みに来た地元の人の姿が多く、それぞれ連れ立って飲み屋へ入って行きます。橋にもたれてたばこを吸っているのは、店の名前が入った前掛けをした従業員のようです。当時、木屋町通は現在よりも道幅が狭かったらしいですが、近藤勇たちが尊皇攘夷派の志士たちの探索をしながら、賑やかな通りを足早に歩いて行く様子を想像することができます。

四条通から三条通の中ほど、高瀬川にかかる橋を渡ると、土佐藩邸跡の石碑があります。木屋町界隈は尊皇攘夷派の志士たちが数多く潜伏していたこともあり、見落としてしまいがちですが関係する石碑も多く建っています。

 

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現在は居酒屋「旅籠茶屋池田屋」になっている。

三条通から高瀬川を渡ってすぐのところに、「旅籠茶屋池田屋」の看板と、店先の大きな提灯を見つけました。居酒屋の店先に、「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑が建っています。

石碑とともに建っている看板には、池田屋事件について説明が書かれています。看板は居酒屋が設置したもののようです。

「歴史を愛し、名節を重んずる者は、暫く此処に歩みを止めよ。此処は、「池田屋騒動」の跡地也」という言葉が印象に残ります。

 

(「池田屋騒動之址」が刻まれた石碑)

 

(「歴史を愛し、名節を重んずる者は、暫く此処に歩みを止めよ。此処は、「池田屋騒動」の跡地也」)


事件後、尊皇攘夷派志士を匿っていたとして、池田屋の主人惣兵衛が捕縛され獄死します。人手に渡った池田屋は佐々木旅館として旅籠を営みますが後に廃業します。石碑を建てたのは、この佐々木旅館です。

1960年頃までは当時の建物が遺っていましたが、その後取り壊され、跡地はテナントビル、パチンコ店となり、2009年になって、居酒屋チェーンによって新撰組をテーマにした居酒屋を開業して現在に至ります。

 

■1864年7月8日、池田事件が起きる。

22時すぎ、木屋町通から三条通を河原町通へ向かった近藤勇たちは、池田屋で尊皇攘夷派の志士たちが集まっていることを突き止めます。

近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、初めに池田屋に踏み込んだのはたったの4人でした。沖田総司は結核、藤堂平助は負傷し、それぞれ戦線を離脱、近藤勇と永倉新八の2人が獅子奮迅の戦いぶりを見せます。

土方歳三が一隊を引き連れ応援に到着したことで、戦局は新撰組に優位に傾きます。池田屋事件の翌日、正午になって新撰組は壬生の屯所に帰還します。その沿道は見物人で溢れていたといいます。

 

■歴史を愛する人々。

池田屋の前に足を止め、看板の説明を読んでいたのは、出張で来たのでしょうか、スーツを着てボストンバックを抱えたビジネスパーソンでした。一眼レフカメラで石碑を撮影した女性は、そのまま居酒屋へ入って行きました。

その間も、居酒屋池田屋には絶えず、客が出入りしています。京都弁で話しているので、居酒屋の利用客は、地元の人たちも多いことがうかがえます。

午後8時、池田屋の空はすっかりと暗くなっています。
歴史を愛し、名節を重んずる者として、もうしばらくここに歩みを止めようと思うのでした。

 

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