(徳川家康像 提供:写真AC)

豊臣家を滅ぼし、その後300年にも渡って日本をおさめる「徳川幕府」を作り上げた徳川家康。そんな家康の人生は、子供のころから人質生活を強いられるなど決して平たんなものではありませんでした。

そんな家康の代から、息子たちの代にわたって徳川家に仕え続けたのが大久保忠教という人物です。家康の死後には、家康を批判する「三河物語」を執筆し、「天下のご意見番」とも言われた大久保忠教について紹介します。

※大久保彦左衛門という名前もありますが、ここでは「大久保忠教」に名前を統一しています。

 

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父の代から家康の祖父に仕えていた大久保家

(真田幸村の騎馬像。「大阪・夏の陣」で家康の本陣を急襲。提供:写真AC)

大久保忠教は、父が家康の祖父に仕えていた縁から兄とともに家康の家臣になりました。なんと、父が50歳の時の子で7人もの兄がいます。

忠教の有名なエピソードと言えば、豊臣家と徳川家康の間で起きた「大阪・夏の陣」でしょう。豊臣家が滅びることになったこの戦いで、豊臣軍の真田幸村(真田信繁)は家康の本陣を急襲しました。

家康が「切腹を覚悟した」とも言われるこの事態に、当然のことながら周囲の家臣たちも混乱状態に。馬印すらもなぎ倒されそうな中で、忠教は逃げることなく兵たちを鼓舞。戦い続けます。

 

この戦いで、家康の馬印は倒れてしまいます。しかし「馬印が倒れたとあっては、徳川の名誉に傷がつく」と考えた忠教は「絶対に倒れていない」と後々まで言い張ったのです。

家康と、徳川家のことを大事にしていたことがわかるエピソードですよね。

家康が亡くなった後は、後を継いで2代目将軍となった秀忠に仕えており、さらに秀忠のあとはその息子の3代目将軍・徳川家光に仕えました。

その生涯が徳川家と共にあったと言ってもいいくらいの人物です。

 

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実は、家康に不満があった?「三河物語」の執筆

生まれた時から徳川家康に仕えることが運命づけられていたような人物であり、実際に徳川家と共に人生を歩んだような忠教です。しかし、隠居後に執筆した「三河物語」では家康に対する不満をにじませています。

「三河物語」は上・中・下に分かれて執筆されたもので、武士としての生き方や徳川家・大久保家についてまとめたもの。

上巻・中巻では、父たちに聞いた戦の話しを中心に話をまとめており、下巻では忠教自身が徳川幕府などについて思ったことが記述されています。

 

忠教はこの「三河物語」を広めるつもりはなく、子孫に書き残すという気持ちで書いたようです。しかし、執筆後すぐに写本が作られていた可能性もあるようで、実際の意図は定かではありません。

江戸時代には多くの人が「三河物語」を読み、徳川家のこれまでに思いを馳せたそうです。「徳川家に仕えた人間であれば、徳川家のことを悪くは言わないだろう」と当時のひとたちも考えましたが、この著書では堂々と徳川家を批判しています。そのため、当時の人たちも注目したのでしょう。

ただし、内容に関しては「個人的な感情が入っている」とも指摘されており、事実関係については疑問や批判もあるようです。

徳川家の人事システムに批判を展開

大久保が記した徳川家への不満を具体的に解説します。この「三河物語」の下巻に記述されている「出世できる者と、できない者」のことです。

戦国時代には、刀を振るって敵と戦う「武闘派」の武将が力を持っていました。命を懸けて敵軍に突っ込み、敵将の首を討つというのは、よほどの勇気と力がなければできません。当人たちも、それを誇りに思っていたはず。

 

しかし、家康の代で戦国時代は終わりをつげ、戦をする機会もなくなってしまいました。そうなると、武闘派の武将たちにかわって「国をどう盛り上げていくか」を考える頭脳派の武将たちが台頭するようになりました。

忠教は武闘派の武将だったそうなので、そういう自分たちを差し置いて頭の良さでのし上がる大名が出世していくのは面白くなかったはずです。

事実、忠教は三代将軍・家光に対して「家光をありがたいと思うな」と苦言を呈しています。将軍に対しても、物を申しているのですから、よっぽど。

 

しかし、徳川家に不満を持ちつつも、彼が徳川家に尽くしたのは事実。

やはり、忠教にとって徳川家は特別なものであり、裏切ることは考えられなかったのでしょう。どんなに自分の扱いが不当だと思っていたとしても。

 

三河物語は、次々に書き写され、日本各地でベストセラーになりました。

市民たちの共感を得られたのは「頑張ったのに報われない、思ったように評価されない」という忠教に共感した人が多かったからだそうです。

時代の流れによって必要とされる人材の基準は移り変わっていく。そして、時代に置き去りにされる人物の切ない気持ちが、よく表れている著書です。

 

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