(京都伏見にある寺田屋。 提供:写真AC)

薩摩藩士がよく利用していた京都伏見の寺田屋は、陰惨な事件も起きやすい宿でした。1862年にも薩摩攘夷派が襲われましたが、ここでは1866年の坂本龍馬が襲撃された事件の流れを、再現・検証してゆこうと思います。

 

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坂本龍馬襲撃事件の真相。

(提供:写真AC)

1月23日、寺田屋の二階の部屋に龍馬と長府藩士・三吉慎蔵が投宿します。仲の悪い薩長を仲介し、同盟を結ばせた直後で、まだ幕府側はその情報をつかんでいなかったと思われます。

ただ、龍馬はすでに要注意人物。薩長の間をうろついていたことで、桂小五郎となにか企んでいるのではと疑われていたようです。

24日午前2時頃、その寺田屋を30人ほどの捕り方が囲みます。潜伏に気づいた伏見奉行・林肥後守忠交が手を回したのです。この発覚がどのような経緯で奉行に知れたかは定かではありません。

寺田屋は油断のならない薩摩人の常宿。女将のお登勢は世話好きで、攘夷志士をよく匿っていたようなので、普通に以前から目をつけられる店だったのでしょう。

(提供:写真AC

部屋では龍馬と慎蔵が薩長同盟のお祝いだったのか、この時間にもまだ酒を飲んで起きていました。

夜風呂に浸かっていた龍馬の恋人・お龍は不審な物音を聞きます。敵だと思い、大声で「誰や!」と叫ぶと、外から役人に「静かにしろ」と命じられ、お龍は包囲されていることを確信。

 

裏階段から二階に駆け上がり、役人が来たことを教えます。階下の不穏を察知していた龍馬と慎蔵。やがて二階に登ってくる足音が聞こえ、ついに三人は見つかってしまいます。

 

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坂本龍馬は拳銃で応戦。三吉慎蔵は槍で応戦。

(提供:写真AC)

数十人の役人と対峙した龍馬、慎蔵、お龍の三人。「お上の御用だ」というのに、「わしらは薩摩藩士じゃ」と答える龍馬。そんな嘘が通じるわけもなく、役人が部屋になだれ込む。龍馬は高杉晋作からもらったピストルを構え、槍の名人の慎蔵は刀と槍を左右の手に持って役人に立ち向かいます。

龍馬は二人を射殺しましたが、敵の反撃により手を斬られます。この傷がもとで、龍馬はその後左手が使えなかったそうです。「もう撃てん」と叫ぶ龍馬。

 

そこで鬼人のように活躍するのが慎蔵です。得意の槍を右に左に振り回し、役人を寄せつけません。龍馬はその隙に脱出。一階の屋根に飛び降り、屋根伝いに逃げ、通りに降り、路地をひた走る。

なんとか危機を脱した慎蔵も後から追いつき、「さあ逃げよう」というものの龍馬の傷が思ったより深い。しかたなく木材屋に隠れるも、夜が明ければ追っ手に見つかるのは明白。

逃げられないと覚悟して自害しようとする慎蔵に、「死ぬ気なら薩摩藩邸まで行って助けを乞うてこい。だめならそれまでじゃ」という龍馬。

慎蔵はなんとか役目を果たし、龍馬は無事薩摩藩邸に収容されたのです。まさに九死に一生を得るという場面ですね。

現在の寺田屋。観光スポットになっている。

寺田屋は現存し、京都の観光スポットのひとつになっています。宿は鳥羽伏見の戦いで焼けているので、今あるのは残念ながら再建されたものです。

でも、事件の様子が感じられるように作られているので、龍馬や慎蔵、お登勢やお龍の奮闘が偲ばれることでしょう。歴史ファンなら一度は訪れてみるといいでしょう。

 

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