坂本龍馬の大親友であり、死後妻のお龍のことも託された長府藩士の三吉慎蔵。長府では重職にありながら、龍馬の提唱する薩長同盟を陰で支え、友を守り、後年は長州藩主・毛利敬親からも認められた生真面目男でした。

 

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槍の名手。宝蔵院流・槍術を学び、免許皆伝。

(武家屋敷の槍 提供:写真AC)

三吉慎蔵は1831年、長府藩で生まれます。長府藩は現在の山口県長門市周辺。江戸期は長州の支藩となっていました。父親は今枝流剣術師範の小坂土佐九朗で、その才能を受け継いでいたのかもしれません。

養子に出されるのですが、宝蔵院槍術の免許皆伝という腕の立つ男でもありました。長州明倫館で学問も学び、三吉家の養子となり、長府藩主・毛利元周に従い江戸へいくなど、長府では有能な人物として認められていたようです。

1864年、馬関海峡の封鎖をしていたところに、航行してきた外国船を砲撃した外国船砲撃事件(下関戦争)が勃発。元周が躊躇していたのを久坂玄瑞ら強硬派が砲撃したことで始まった戦闘に、慎蔵も軍の重職として参加。英米仏蘭と戦いました。

その翌々年に坂本龍馬の薩長同盟計画を知ると、支藩の長府にとっても情報収集の必要性があるということで慎蔵は龍馬と通じることになります。

 

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寺田屋事件で幕府方に槍で反撃。龍馬の命を守り切る。

(提供:写真AC)

薩長の仲立ちをしていたために幕府方から命を狙われるようになった龍馬は、京都伏見の寺田屋に妻・お龍を預けます。龍馬が懇意にしていた女将のお登勢の娘・お春ということにしていました。

薩長会談を取りまとめた翌日、龍馬は慎蔵とともに寺田屋に投宿します。それを察知した伏見奉行・林肥後守忠交が寺田屋を取り囲んだのです。

気づいたお龍が危機を知らせ、龍馬はピストルで、慎蔵は得意の槍で応戦しました。しかし、龍馬が負傷。「もうピストル撃てん」というので、慎蔵が盾となって戦い、龍馬を逃がします。

ドラマなどでお馴染の、お風呂から裸で知らせにくるお龍、槍を振り回す慎蔵、怪我をした龍馬が屋根伝いに逃げるという、お色気・バトル・脱出の見所が揃った有名な展開ですね。

その後、龍馬に追いついた慎蔵は「逃げきれない」と自殺を考えるも龍馬に止められ、薩摩藩邸に援助を頼みに慎蔵を走らせます。結局、薩摩に二人とも救われるのですが、このときの取方は100人を超えていたといいます。

奉行も本気で龍馬を排除しようとしていたのがわかります。本当に危機一髪だったのです。意外と使えない龍馬を、ほぼ単身で守り切った慎蔵の無双っぷりが極立っている逸話です。

龍馬の死後、妻のお龍のお世話をする。

薩摩に助けられた龍馬と慎蔵は、お龍も引き取って薩摩の船で大阪を出港します。慎蔵は長府で下船し、龍馬を守った功績で毛利敬親から褒美をもらっています。長州が幕府と険悪となり、慎蔵は高杉晋作の奇兵隊らと一緒になって戦うなど、長州のために働き続けました。

やがて、近江屋で龍馬は暗殺されます。なにか予感があったのでしょうか、龍馬は死の前に信頼できる慎蔵に「万一のときはお龍を君の家に置いてやってくれ」と手紙を出しています。慎蔵は約束を守りました。お龍を自宅に引き取り、それから高知の坂本家に無事送り届けています。

慎蔵は明治34年まで生きますが、龍馬の人となりをよく人に懐かしそうに語っていたそうです。

 

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