(勝海舟像 提供:フリー写真素材 photock)

幕末の知的巨人・勝海舟。世界を知る男として日本の誰よりも一歩先を進んでいた印象です。幕府に頼られ、坂本龍馬に慕われ、西郷隆盛を説得して江戸を救った勝の人間的魅力とは何だったのか。解説してみようと思います。

 

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坂本龍馬が勝海舟に弟子入りした理由。


(赤坂にある勝海舟と坂本龍馬の師弟像。提供:写真AC)

勝海舟と坂本龍馬の親交はよく知られています。倒幕を考えていた龍馬は、幕府の人間で開国論者の海舟を斬るつもりで屋敷へ行き、そこで海舟の広い知識と合理的な考えに感銘し、弟子になったというのです。

龍馬、行き当たりばったりすぎだろうとも思うのですが、そんな龍馬の潜在能力を見抜いて、ホイっと弟子にしてしまう海舟の鷹揚さも「さすが」というところでしょう。キャラ的にも気の合いそうな二人ですし。

勝海舟は龍馬を可愛がり、土佐藩主・山内容堂に掛け合って龍馬の脱藩を許させたといいます。交渉術においても海舟は一流だったのですね。

海軍伝習所で、能力を存分に発揮する。

(提供:写真AC)

貧しい家で生まれた勝海舟は、幼少期は剣術、青年期は蘭学を懸命に学びます。佐久間象山と交流し、視野を広くしていた海舟。

やがて黒船来航があり、幕府が海防意見書を広く募集すると、海舟の意見が一番いいとなり認められるようになります。長崎の海軍伝習所の教頭に就任し、日本海軍の礎を築きました。

1860年に福沢諭吉、ジョン万次郎らと咸臨丸で渡米。さらに見識を深め、海軍によって欧米に対抗するよう幕府に献策するのです。龍馬が弟子入りしたのはこの頃で、海舟が一番ノッていた時期といえるでしょう。

もし海舟がおらず、海防が遅れていたとしたら、日本の未来はまったく違うものになっていたはずです。

 

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江戸無血開城の功績。江戸を戦火から守った。

(港区にある「江戸無血会見の地」 提供:写真AC)

さて、倒幕を目指す新政府軍は鳥羽伏見の戦いを勝利して、一気に江戸に迫ってきていました。海舟は「このままでは江戸がめちゃくちゃにされてしまう」と考えます。海舟は気風のいい江戸弁が特徴です。

中心地の江戸が破壊されれば、100万人の江戸市民が犠牲になります。それだけでなく、内乱に乗じて、欧米列強が日本に干渉してくるかもしれません。他国の植民地になる怖れもあったのです。

 

そこで、新政府軍の大将・西郷隆盛との話し合いが持たれます。西郷も事情の読める男ですから、海舟の言い分はわかる。しかし、気の立った軍隊を止める理由が見つからないという立場です。

交渉次第では海舟を斬って捨て、江戸になだれ込む算段もしていました。勝海舟VS西郷隆盛、緊張感のある会談としてドラマでよく描かれていますね。

結局、海舟の「徳川家を寛大に処置するなら無抵抗で江戸を明け渡す」に、西郷が「難しいが、私が一身にかけて引き受けます」と江戸無血開城が実現しました。世界史でも稀に見る、話し合いによる都市の解放です。

海舟が西郷からも尊敬されていたから成功したのかもしれません。
もし江戸が壊滅していたら、明治の近代化は間違いなく難しかったはず。
場合によっては、混乱に乗じて、欧米列強が日本に干渉。そのまま植民地になっていた可能性も指摘されています。

子孫はガラス工芸家の高山みな子さん。


(提供:写真AC

フリーランスライターでガラス工芸家でもある高山みな子さんは、勝海舟の玄孫に当たります。本業の傍ら、海舟についての講演も積極的に行っていらっしゃるので、海舟の人となりをもっと知りたい方は、是非高山さんのお話を聞いてみてください。

 

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