(提供:写真AC)

「一刀流」という言葉を聞いたことはありませんか?

幕末には「北辰一刀流」という剣術が流行しており、あの坂本龍馬も学んでいました。このように、歴史を調べているとどこかで「一刀流」という言葉に必ず出会います。

その「一刀流」の祖であり、歴史の中で「天才剣士」として名高い人物が「伊藤一刀斎」。今回は、あのバカボンドに出てくる剣士、伊藤一刀斎について紹介します。

 

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謎が多い剣士・伊藤一刀斎。

(伊豆大島の海 提供:写真AC)

伊藤一刀斎は、江戸時代のはじめに伊豆大島で生まれた剣豪です。生まれた年には諸説あり、はっきりしません。

「伊藤」という名字も、「伊東」であった可能性もあり、色々と謎が多いです。ただ、父は伊藤屋左衛門という人物で、一刀斎の幼名は「前原弥五郎」であったと言われています。

 

幼い時から骨格がしっかりしている子供だったと言われ、力も強かったとか。
漁業がさかんな伊豆大島で生まれたことから、漁業を手伝いながら大きくなったと伝えられています。

そんな一刀斎には、事実とも言い伝えともつかない逸話が残っています。
一刀斎が14歳の時、故郷の伊豆大島から「三島(静岡県・三島市)」というところまで、格子を使って泳いだとか。

 

現在、伊豆大島と三島はフェリーで結ばれており、到着までの時間は22分です。格子を使ったとはいえ、この距離を泳ぐというのはちょっと信じがたいのですが、そのくらいの話しが出るくらいに優れた子供だったのでしょう。

なお、この言い伝えの中で一刀斎は「三島神社」というところで寝起きするようになり、現地の人々は「天狗が現れた」と噂したとか。

三島神社の祠官が刀を授かる。

(剣術道場 提供:写真AC)

ことの成り行きを見守っていた「三島神社」の祠主は、一刀斎の存在に感じることがあったようで「瓶割刀」という刀を与えました。

「瓶割刀」は、刀をつるしていた時に縄が切れ、下にあった瓶が二つに割れたという逸話がある刀です。一刀斎がこの刀を持ったときから、天才剣士・一刀斎の人生が始まることになります。

刀をもらった一刀斎は、腕を磨くためにとある剣豪の道場に弟子入り。
メキメキと力をつけ、数年のうちには誰も叶わなくなってしまいました。

「自分より強い者がいないところにいても、腕を上げることはできない」と思ったのか、一刀斎はその道場を出ようとしますが、道場主がそれを止め、二人は1:1で戦います。

 

しかし、いくら主が一刀斎に向かって言っても、打ち込むことができません。
不思議に思う主に対し、一刀斎は「自分を討とうとする師匠の気持ちが、私にうつって来るだけなのです」と答えました。

ここから、一刀斎は「剣は人なり、人は剣なり」という「剣心一如」の教えを得たと言われています。そして、それが「一刀流」の教えとなり、この時から名前も「一刀斎」を名乗るようになります。

 

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「剣心一如」の教えとは。

(現代の剣道においても「剣心一如」の教えは伝えられている 提供:写真AC)

「剣は人なり、人は剣なり」という「剣心一如」の教えは、「人間の心と剣は一体である」という意味。つまり、人の心によって剣は良いものにも悪いものにもなり、逆もまた然りということです。

「まっすぐな心で剣の修行をしていれば、自分の心もまっすぐになっていく」という教えは多くの剣士たちの心を打ち、瞬く間に広まっていきました。

あの徳川家康も、一刀斎に剣術の指南を願い出たという話しもあるので(一刀斎は断ったみたいですが)、相当有名であったことは想像できます。

 

その後、一刀斎の「一刀流」は、様々な流派に分かれて幕末にも存在が確認されています。一説によれば、一刀斎は石田三成の盟友・大谷吉継の師でしたが、大谷は「関ヶ原の戦い」で死んでしまったために浪人として生活し、93歳まで生きたとか。

亡くなった場所についても、はっきりしたことは解っていません。
ただし、彼が残した功績は、のちの武士社会に一刀流が影響を与えていることからも良く解ります。

 

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