京都霊山護国神社は、明治元年、明治天皇の詔によって、官祭招魂社として創建されました。明治天皇は維新を目前としながら、志半ばに倒れた志士たちの御霊を奉祀するために、京都霊山護国神社を創建したのです。

明治天皇の詔に感激した在京の公家や、山口、高知、福井などの諸藩が、それぞれ霊山の山頂に祠宇を建立しました。

霊山護国神社の社殿を見下ろす霊山には、京都の近江屋で襲撃を受け命を落とした坂本龍馬と中岡慎太郎、維新の三傑にして明治政府の参議でありながら、西南戦争の最中に病死した木戸孝允(桂小五郎)の墓があります。

この地には549人もの志士が眠っています。

また霊山には久坂玄端、高杉晋作をはじめとした、幕末の志士1356柱が祭神として祀られています。「維新の道」と呼ばれる霊山への参道を歩き、京都霊山護国神社をたずねます。

 

スポンサーリンク

 

維新の道を歩く

京都駅烏丸口のバスターミナルから、清水寺方面へ向かう市バスに乗車します。朝早くにも関わらず、バス停には清水寺へ向かう観光客が列を作っています。乗車時間は10分程、清水道で下車します。

清水道から北へ向かって2丁ほど、コンビニがある交差点まで歩きます。
すると右手に大きな鳥居が見えます。この鳥居の先が「維新の道」です。

坂道を登るにつれ、少しずつ険しくなっていきます。右手に高台寺を過ぎると、大きな鳥居と「京都霊山護国神社」と刻まれた大きな石碑の前にたどり着きます。鳥居をくぐり、さらに坂道を登って行きます。

険しい坂道は、志士たちの明治維新までの厳しい道のりを連想させます。維新の道の先に霊山がそびえます。京都霊山護国神社は左手にあります。社殿を守るように設置された2体の大きな狛犬が出迎えてくれます。

社務所へ

霊山護国神社を参拝し、社務所へ向かいます。

社務所では坂本龍馬や桂小五郎をモチーフにしたお守りや絵馬が販売されています。霊山護国神社を参拝した証に御朱印をいただくことができるのもこちらの社務所になります。

この社務所の横に、霊山への入場ゲートがあります。
300円を投入すると、ゲートが開く仕組みになっています。

ゲートを抜けると、幅の狭い厳しい石段がそびえます。石段の真ん中に設けられた手すりにつかまり、1段1段登って行きます。すると霊山の斜面に、整然と祠宇が建ち並ぶ光景が広がり、圧倒されます。

 

スポンサーリンク

 

坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓は、銅像が置かれ鳥居が設置されているので、すぐに見つけられます。献花台にはすでに誰かが花を供えていました。

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓参を終え振り返ると、京都市中を見渡す絶景が広がっていました。坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像と並び、しばらく景色を眺めます。目の前の赤い欄干をよく見ると、「海援隊 隊長 坂本龍馬」、「陸援隊 隊長 中岡慎太郎」と書かれています。

 

一方、久坂玄端や高杉晋作など長州出身の志士たちの祠宇を探すのは、案内板を確認しながらでも大変です。池田屋事件で命を落とした志士たちの祠宇などもありました。

さて、木戸孝允(桂小五郎)の墓は、霊山をさらに登った先にあります。

後年、木戸孝允は病気を患っていました。自分が死んだら、霊山に葬って欲しいと切望します。それは、明治維新をむかえられなかった同志たちの傍に眠りたいという、木戸孝允の思いでした。

木戸孝允の墓に寄り添うように、妻の松子の墓があります。
木戸孝允と松子の墓にも、花が供えられていました。

霊山護国神社、そして霊山では、1000を超える志士たちの魂が、維新後の現代を生きる私たちを見守っている、そんな気がするのでした。

(写真撮影:筆者)

 

スポンサーリンク