(提供:写真AC)

1864年10月、新撰組入隊を決意した伊藤大蔵は、尊攘の志を胸に新撰組入隊を決意したのは、折りしもこの年が干支の甲子であったため、伊藤甲子太郎と改名しました。

すらりと背が高い美男子で、文武両道、喋りも上手く、並外れた人望を持つ人物で、新撰組では伊藤甲子太郎のために参謀という新たなポストまで用意して向かい入れました。

 

しかし、尊攘を掲げながらも、新撰組は佐幕(幕府)を基本方針としていて、「勤皇」を思想とする伊藤甲子太郎はむしろ倒幕論者であり、新撰組と伊藤甲子太郎の間には溝が深まっていきました。

1867年、伊藤甲子太郎は新撰組から分離し、御陵衛士を組織します。
新撰組の局中法度に違反するところですが、敵対勢力になるのではなく薩摩藩の動向を探る為であり、切腹を免れ新撰組から分離を果たします。

東山高台寺月真院に屯所を構え、御陵衛士は活動を開始しました。
そのため、御陵衛士は後に「高台寺党」とも呼ばれるようになります。

御陵衛士、8ヶ月の歴史が刻まれる高台寺をたずねます。

 

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「ねねの道」を歩き、高台寺を目指す。

(八坂の塔 提供:写真AC)

東山地区のシンボルタワー、八坂の塔を見上げる八坂通。この八坂通は、八坂の塔を建てた聖徳太子が仏法興隆を夢見たことから、「夢見坂」とも呼ばれています。当時、西本願寺にあった新撰組の屯所から、御陵衛士たちはこの道を高台寺へ向かって歩いたのでしょうか。

京都駅烏丸口のバスターミナルから、清水寺方面へ向かう市バスに乗車します。乗車時間は10分程、清水道で下車、バス停からはすでに八坂の塔が見えています。八坂通を登り、下河原通を八坂神社方面へ向かって歩きます。

 

(「ねねの道」 提供:写真AC)

石塀小路をたどり、「ねねの道」へ出ます。一帯は古い住宅や旅館、商店が建ち並び、美しい景観が広がっています。ねねの道から石が敷かれた道を登ると、高台寺にたどり着きます。

1606年、豊臣秀吉の正室ねねが、秀吉の菩提を弔うために高台寺を創建しました。桃山文化を伝える造りが特徴で、広い境内には千利休による茶室があったり、小堀遠州作の庭園は国の名勝にも指定されています。

御陵衛士の屯所となった高台寺月真院は高台寺の塔頭で、ねねの道に面しています。月真院の門構えは高台寺に比べ素朴な印象です。しかし、月真院の長い歴史を感じることができます。

 

(月真院の門の右手)

(月真院の門をくぐると・・・)

ねねの道から見て月真院の門の右手に、「御陵衛士屯所跡」という石碑があります。その隣には、東山路傍の触れ仏と紹介されている、恵比寿様のような福々しい見た目をした小ぶりな仏様がいます。高台寺の周辺には、こうした触れ仏がたくさんあるそうです。

月真院の門をくぐって中へ入ると、まず右手にお稲荷様があります。御陵衛士たちも、屯所を出る時、屯所へ戻って来る時、お稲荷様に手を合わせていたのかもしれません。月真院は普段は非公開なので、これより先を拝観することはできませんでした。

しかし、御陵衛士たちが踏みしめたであろう石畳に立って月真院を見渡すと、御陵衛士たちが見たであろう景色を眺めることができます。

 

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未遂に終わった新撰組幹部の暗殺計画。

御陵衛士は薩摩藩の援助を受けながら、雄藩を回って勤皇を説きました。各地へ出張して、尊皇攘夷派要人と会談したり、月真院を坂本龍馬や中岡慎太郎が訪ねた記録も見られます。また、この月真院の屯所では、伊藤甲子太郎が手ずから、衛士たちに英語を教えていたと言われています。

そして、御陵衛士たちは、月真院で大政奉還の知らせを受けます。尊皇攘夷論者として倒幕の流れに乗ろうとしていた伊藤甲子太郎は、このままでは時代の波に乗り遅れると焦り始めます。

そこで伊藤甲子太郎は、強風の日を選んで新撰組屯所を焼き討ちにし、その混乱に乗じて近藤勇を初めとする、新撰組幹部を暗殺することを思いつきます。

 

そして、伊藤甲子太郎が新たに新撰組局長となり、新撰組を尊皇攘夷集団として自ら率いることを考えました。

しかし、この計画は、新撰組からスパイとして御陵衛士に送り込まれていた齋藤一によって、すでに新撰組に通報されていたのです。

 

近藤勇、土方歳三は伊藤甲子太郎の暗殺を実行します。近藤勇に招待され、伊藤甲子太郎は1人で近藤勇の妾宅を訪ね、宴席で酔わされた帰り道、待ち伏せていた新撰組隊士たちに襲撃されます。

さらに、新撰組は伊藤甲子太郎の遺体を引き取りに現れた御陵衛士を、七条油小路で待ち伏せし、御陵衛士3人を討ち果たしました。伊藤甲子太郎を失った御陵衛士は、壊滅に追い込まれるのでした。

 

御陵衛士たちが月真院を屯所に活動したのは、わずか8ヶ月ばかりでした。
現在は観光地として賑わうねねの道、月真院の門前を多くの観光客が八坂神社へ、あるいは清水寺の参道方面へと行き交います。

その中に「禁裡御陵衛士屯所」を掲げ、月真院の門前に張った菊花紋章の入った幕を見上げた御陵衛士たちの姿が見えた気がしました。

 

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