(船のイメージ モリソン号ではない。提供:写真AC)

日本の海域に現れたアメリカの商船モリソン号。友好的な目的でやって来たのに、日本は「異国船が攻めてきた」と大パニックに。ビビりすぎの日本がやらかしたお粗末な誤認事件の顛末をざっくり解説していきます。

 

スポンサーリンク

 

通商と布教が目的のモリソン号が来航。幕府側「打ち払え!」

1837年、伊豆半島沖に一隻の船が来航しました。マカオ、那覇を経て北上してきたアメリカ商船モリソン号です。漂流してマカオに流されていた日本の漁師7人も乗せて、送ってきてくれたのでした。船長としては漂流民を保護して返し、「ありがとう」とお礼されて、和気あいあいと商売や不況の話でもできればいい気持ちです。だから、武装もまったくしていませんでした。

ところが当時の幕府は戦々恐々。大国・清がイギリスに好き勝手されていた頃なので、「日本はそうなってたまるか」とピリピリしていたのです。

その最悪のタイミングでやって来たモリソン号に向かって、日本はいきなり砲撃しました。欧米にビクビクしていた日本は異国船打払令を出していて、「俺に近寄るな」状態だったのです。

 

モリソン号は仕方なく引き返し、薩摩に寄港しますが、ここでも冷たくあしらわれ、マカオに戻りました。モリソン号側が漂流民引き渡しの手続きを踏んでいなかったことも悪かったのですが、日本側の問答無用の砲撃も問題となります。

なんとこのとき、星条旗を掲げた商船をイギリス戦艦と勘違いしていたとか、砲撃がまったく届かなかったとか、日本防衛の無能ぶりまでさらけ出しました。

一年後モリソン号が漂流民を乗せていたことが判明して、幕府の強硬措置まで責められてしまうという踏んだり蹴ったりの目に遭ってしまったのです。

 

スポンサーリンク

 

漂流民の音吉の生涯が凄すぎる。

モリソン号に乗っていた漂流民の一人に音吉という人がいます。13歳頃に尾張の船の船員となり、船員らしく波瀾万丈の人生を送りました。

その船が難破した後一年以上も漂流してアメリカまで流され、インディアンに捕まって奴隷にされた後、さらにイギリス船に売られ、初めてロンドンに上陸した日本人になったのです。そしてマカオに送られ、聖書の日本語訳に協力しました。

 

それから例のモリソン号で日本に来るのですが、そこでも追い返されたわけです。ただ、音吉は日本を恨まず、「日本の武威を見せてやったぜ」と思ったそうですからけっこう前向きな人だったようですね。

帰国できなかった音吉はマカオからアメリカへ、アヘン戦争が始まるとイギリス兵として上海へ、さらにシンガポールへと、世界中を渡り歩きました。

この間、福沢諭吉らと会ったり、日英交渉の通訳を務めたりしています。

 

イギリスに帰化した最初の日本人ともなり、「ジョン・マシュー・オトソン」と名乗るようにもなりました。

漂流したために、とにかくすごい生涯を送った人なのです。この頃、漂流する船員や漁師は少なくなく、ジョン万次郎のように有名になった人もいます。日本が鎖国だったせいで、他国で苦労しながら生きる道を選んだ人たちですが、犠牲者と思わせないような彼らの不屈の精神には、心から敬服を禁じ得ないですね。

 

スポンサーリンク